-1990-
全日本ツーリングカー選手権
GTR復活の年
'90年、菅生でのリーボック・スカイライン(R32)カーナンバー”1”は前年度チャンプの証!

長谷見選手の魅力はそのひょうひょうとした物腰
大舞台においても常に自分が楽しんで走る事を忘れないその姿勢が私にも大きな影響を与えてくれました。
同じ大ベテランにして永遠のライバル、星野一義とは全く対照的なスタンスを持っているのが面白いです。
星野選手にとってレースは仕事100%、走っている時は苦しい以外の何者でもないと語り
長谷見選手は仕事50%、楽しみ50%、楽しめる部分が無くなったらやめる、とまで言っていました。

-1992-
全日本ツーリングカー選手権
「ジェックス・スカイライン」(R32)
これまたカーナンバー1。
写真はフジミ製キット。ミラーやタイヤ廻りをディテールアップしてます

-1993-
全日本ツーリングカー選手権
'93、ハイランドでのユニシアジェックス・スカイライン(R32)
またまたナンバー1!赤く見える部分は上のユニシアのような蛍光オレンジなんですが
写真に撮るとこうなります。

長谷見昌弘は練習をしない
信じられないような話ですが有名な話でもあります。
長谷見選手はレースの練習を一切しないらしいのです(もちろん自身の筋トレなんかは別)
そしてレースウィークになるといきなり早く走れてしまう
これが「ニッポンの天才」と呼ばれる由縁です。
対する星野はとにかく練習量も日本一、
「俺はどんな若いドライバーよりも練習をたくさんやっている」と豪語する通り
ここらへんも対照的でなんともおもしろい二人なのです。

-1994-
全日本ツーリングカー選手権(JTCC)
'94、菅生でのカストロール・プリメーラ
グループAが前年で終了し、ツーリングカー選手権は写真のような4ドアセダンで争われる事に
師匠もプリメーラやオペルベクトラ等で参戦しましたがあまり面白くなかったみたいです(笑)

-1995-
全日本ツーリングカー選手権
'95、菅生でのユニシアジェックス・プリメーラ

全日本GT選手権
'95、ハイランドでのユニシアジェックス・スカイライン(R33)
グループA無き後、スカイラインが活躍の場を移したのがこのGT選手権
師匠も引退の時までここで活躍する事になります。
定番トミカのユニシアジェックススカイライン(R33)

こちらはタミヤ製・1/43完成品のユニシアジェックス

-2000-
長谷見昌弘、GTを引退というニュースが流れたのは
GT選手権、東北ラウンドが終わった後。観戦に行かなかった私は
東北での師匠の最後の走りが見れなかったのですー(涙)これが心残り

-2000.11.26-
引退セレモニー
富士スピードウェイで毎年行われるニスモ・フェスティバルにおいて
長谷見選手のサーキット引退セレモニーが行われました。
ラストランを飾るのは当時のメンテナンススタッフがこの日の為に必死で調整した
あのトミカ・スカイラインスーパーシルエット
永遠のライバル星野らとの握手、そして多くのファンに見守られ
55歳・長谷見昌弘は聖地を去って行きました。
長谷見選手、お疲れさま。本当にありがとう

さて・・・サーキットでのレース活動からは引退しましたがラリーレイド
(パリダカのようなアドベンチャーラリー)ではまだまだ現役!
現在は息子さんとペアで(素敵〜)活躍中
「楽しんでレースする」姿勢はこれからも変わらず!
まだまだ書きたい事&載せたい写真があるのですがぼちぼちと

戻る