私の最も尊敬するレーサー、心の師匠・長谷見昌弘選手が今年サーキットを引退しました。
彼の足跡をこのサイトらしく(笑)オモチャや私の撮った写真等で振り返りましょう

長谷見昌弘
1945年生まれ。2輪モトクロスでレースデビュー。4輪レースデビューは1965年のブルーバードSSにて。
高橋国光、星野一義らと同じく日本の4輪レースを創世記からひっぱってきた大ベテラン
個人的にはニッサンの契約ドライバーとしての活躍が印象に強く残ります。
初代スカイラインGT-R伝説の立役者の一人、それからこれまでずっとスカイラインと共に闘った
まさしくミスター・スカイライン

-1978-
”長谷見昌弘”という名前をおそらく初めて目にしたのがこの'78年トミカカタログ。
かなりボロボロですねえ・・・こんなになる位見てたんです(スーパーカーブームの頃)

この年トミカ(TOMY)がレーススポンサードに進出、そのドライバーが長谷見選手でした。
以後、現在までトミーは長谷見選手のパーソナルスポンサーになっています

-1982-
個人的に長谷見選手を応援するようになったのがたぶんこのあたりから。
スカイラインがサーキットに復活し話題を集めた
スーパーシルエットレース(カテゴリーはグループ5)での
スカイライン・スーパーシルエット
私がスカイライン、ひいては日産が好きなのはひとえに親の影響で
父親がずっと乗り継いでいて(現在は違う車に乗ってます)子供の頃から
慣れ親しみ、憧れと敬意を抱いている車です。
この時も新聞広告やこういったカタログでスカイランの活躍を目にする度
胸を踊らせたものです。
下は当時日産でもらったトミカ。
ミニカーは当時発売されていたもので
それに優勝記念の刻印&長谷見選手のサインが入ったスタンドが
付いています。確かこのマシンが初優勝した時だったかな?

-1987-
この年初めてサーキットに足を運びました。
初めて見たレースは西仙台ハイランド(現・仙台ハイランド)での全日本グループA選手権
数台参加していたスカイライン勢の中でも一際早かったのが
この「ダンロップ・ハセミ・スカイライン」(DR30)
ポールポジションからのスタートで決勝はトラブルで残念ながらリタイヤに終わりましたが
初めて見たレースで師匠の圧倒的な早さに私はすっかり虜になってしまいました。
(ちなみにこの時師匠とペアを組んでいたのはあの鈴木亜久里選手)
写真はトミカ・ダンディのものです。

-1988-
'88年・ハイランドでの「リーボック・スカイラインGTS-R」(R31)
GTR復活の予感。'89年には師匠のこのマシンが待望のシリーズチャンピオンに輝きました
当時のレース界は外国車勢vs日本車勢という図式で非常に盛り上がっていてめっちゃ面白かったんですよ
オリジナルトミカのリーボック・スカイライン
スポンサーの関係からか、リーボックのプラキットは発売されませんでした

-1989-
'89年、菅生での「DUNLOPスピードスターローラT89-50」
フォーミュラレースでも師匠は大活躍
前人未到の国内レース4冠王という偉業も達成してます。
フォーミュラレース(当時F3000)は'91年で引退。ラストレースの成績は5位
'89年ル・マン参戦の「ニッサンR89C」
23号車ドライバーは長谷見・星野・鈴木(利男)
ル・マンで初めて日本車が”勝負”をかけた記念すべきマシン。
普段はライバル同志であるホッチと師匠の豪華ペアも耐久レースならでは。
グループCでの師匠は国内、国外を問わず活躍
'92年日本人そして日本車初のデイトナ24時間レース優勝はこれまた長谷見・星野・鈴木トリオでの達成
写真はタミヤ製キット。余談ですがこれブルーの部分全部デカールなんですよ(笑)苦労しました

続く

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